寿仙寺について

寿仙寺HISTORIA

 

平安時代後期の承暦四(1080)年に開創された天台宗「施薬院壽泉院せやくいんじゅせんいん」が前身。

修験者が加持祈祷と病人に薬を施した堂宇が、現在の「薬王山壽仙寺やくおうざんじゅせんじ」という名称になったと伝わる古い歴史をもつ。

天台宗から曹洞宗へは江戸時代に入り、佐竹藩の国替えに伴い改宗された。
万治元(1658)年、秋田市天徳寺十三世吉峰薫貞きっぽうくんてい大和尚を勧請し、曹洞宗寺院として開山された。吉峰薫貞きっぽうくんてい大和尚は、實相寺じっそうじ(釈迦内)も同様に同時期、真言宗寺院を曹洞宗へ改宗して開山している。

周辺寺院の大半が大館城菩提寺の宗福寺末となるとき、この二ケ寺は秋田藩主の菩提寺末としての再興である。
共に古い歴史をもつ寺院なので、特に天徳寺 1末として扱われたと考えられる。施薬院壽泉院の開創を比内町味噌内宿内しゅくないとする説もあるが、現在の境内には室町時代の宝篋印塔ほうきょういんとうがあるので、その頃は既に現在地に寿仙寺があったと思われる。

江戸時代には一町八反の寺域に整然と堂宇を構える大寺であったと伝わるが、当時の伽藍は明治時代戊辰戦争の兵火で焼失している。

この戦争では、山城みよという女性が政府軍に志願して幕府軍の銃弾に斃れ、後の靖国神社に祀られる女性第一号となった。病床の夫に代わり男装姿で戦場に丘糧を運んだと伝えられている。

境内には、山城みよ女が荷を背負い陣地に向かう姿の像が建てられている。

寿仙寺は、近年二度の伽藍焼失に見舞われてきた。しかし、度重なる苦難を乗り越えて、現在の本堂は平成七年に再建される。

  1. 秋田 佐竹藩主の菩提寺
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